リアル

リアルなものが好きだ。

なんかこう、全員にきれいに見えるように植えられて照らされた桜より、ど田舎にたまたま咲いた、みたいな桜が好きだ。

今の私は、そこに似合うか?リアルに生きているか?

偽物の面して、地に足つけずに生きてるんじゃないか?

 

こうなりたい。これがしたい。というものが全然分からない。

ただリアルなものに触れ、リアルなものを生み出し、楽しくて刺激的な日々を送りたい。(そして名声も得たい…)

 

先日のGLIM SPANKYのライブの最中も”リアル”という言葉がずっと頭と胸でぐるぐるしていた。

 

私は私の出すものに責任を持ちたい。

リアルに目の前の人に影響を与えたい。

私自身でもって、影響を与えたい。

会社の歯車となって間接的に与えることができたとしても納得できない。

ピンとこない。自分の力を感じられない。自分のものだと思えない。

自分を好きになれない。

周りの目

こんなに暗いこと考えて頻繁に泣いていても周りから見たら「悩みがなさそうでちょっとアホな〇〇ちゃん」だから参るよね。まあ自分がそう見られることを望んだんだけど。周りからどう思われたい、思われたくない、どう見られてるか、なんて関係ないのにね。周りの目なんて早く忘れさせてよ。あんまり考えてなかった頃に戻してよ。

「仕事ができる」と認められたい

「仕事ができる」と認められたい。

今、私は周りの台頭や、信頼を獲得してきている様子を見て焦っている。
・同期が思っていた以上に仕事できる
・後輩が上に何かを投げかけている
・先輩の周囲からの信頼(ここに関しては過剰評価すぎるとも思っている。)

周りはこんなに頑張っているのに、自分はどうか。
思い起こせば、上の方から褒めてもらったことはある。
でもなんか信用できなくて、自分の自信につながっていない。
(いい人たちだけど、いや、いい人たちだからこそ、私を励ますためだけの言葉に聞こえて肯定できない。)

 

残業時間も肯定できない。
まず自分のベースを確認するが、1秒も残業したくない、というスタンスだ。これは間違いない。
でも自分が残業せずに早く帰ってて、その時間にみんなが残業したりしてるのを知ると
どうしようもなく焦る。やるべきことを自分はまだやっていないんじゃないか、
自分が休んでいる間にみんなが進んでいってるんじゃないか、置いて行かれるんじゃないかと。
逆に自分が残業しててみんなが早く帰ってると、自分は能力がものすごく低いんじゃないかと不安になるし暗くなる。


幹がない。軸がない。

 

バイトに入りたての頃に店長に言われた、
「自信のなさそうなしゃべり方は相手を不安にさせる」という言葉がよみがえる。
その時はこの言葉をきっかけにどうどうと接客できるようになってバイトでも信頼されるようになった。同じスキームに乗れないだろうか。

 

今自分が自信がなさそうな態度をとっているのは「保険」なんだろうな。
失敗しても大目に見てね。ほら、初めから自信ないって言ってたじゃん。という保険。
冷静に考えれば、周りでエラそうな態度をとる若手が失敗してもそれを咎めたり気にする人はいない。むしろ評価される。そんな風潮なのに。

でもどうしてもどこか踏み切れない。一生懸命になれない。


業務の余裕のなさは関係していないと思う。

それに、私の尊敬と、この会社での評価が比例しない。

頑張れないかもしれない。

(2019.01.30)

ゴールが決まったからこそ

1年後に会社を辞める。全く別の道に進む。そう決めて、具体的な手続きも行った。ゴールが決まったからこそ、業務もすっきり頑張れると思っていたがそうはいかなかった。月曜日から最高潮にしんどい。どうあがいてもこの会社で働く自分を好きになれない。

 

不満ぷーぷーで働く人間のことを心底嫌いだと思っている私自身のマインドが完全にブーメランとなって、するどくて鈍いダメージを絶えず与えてくる。

 

嫌だから辞める。でも「嫌だ、辞める」って思ってる自分のことも嫌で嫌で仕方がなくて。気持ちのいい内容ではないから、同じ会社の人間には相談できない。マイナス面をぶつけられない。吐露できない。そんな状況。

そう自分で認識できているだけ「まし」なのかな。これから一年間もつのかな。

イメージできないや。

 

しんどい時は辞書のように若林の本をめくり、自分の気持ちに寄り添うエッセイを探して読む。今日も「大丈夫だよ」が染みる。私はどうしても誰かに認めてほしいんだな。こんなに嫌だと思っている仕事でも、認められたいんだな。

なんでもない

 ここ数日気力がわかない。業務の波も落ち着いている期間ということもあり、早退した。早退に至る無気力だ。良いようにとらえれば「余裕」なのかもしれない。しかし、徹底的にネガティブで自分を疑ってしまう私はそれをうまくとらえられないし、とらえたくないとさえ心のどこかで思っている。

 

 業務に追われていないと、もくもくと考えが浮かんでくる。留学、転職、将来。もともと考えたくてワクワクする話なのに、最近は期限も迫ってきて考えないようにしてしまっていたなあ。自己嫌悪に襲われる。襲うのも襲われるのも、要因を作ったのも全部自分。

 

 たすけてほしい。

(2019.02.12)

「隙」について

 「○○ちゃん、飲み会で男の子にもっと隙を見せなきゃ~」

 「隙が無さすぎるとモテないよ~」

 

 はて、「隙」とはなにか。

 

上記のような会話は何十回も耳にしてきたし、それが自分に向けられることもままある。私は割と若手としていじっていただけるふざけたキャラであるし、お酒での失敗の証拠写真や動画を撮られて流出させられたりする程度には隙があると思っていた。「隙」があるか、ないかで言えばある方だという自己認識だった。

 

 自分で考えていてもよくわからなくなって、師と仰ぐ友人に聞いてみた。師曰く、「隙」とは「揺れ」のようなものだとのこと。必ずしもガバガバであることが「隙」ではないし、乱れることが「隙」でもない。はじめからガバガバな人間が通常通りガバガバでもそれは「隙」ではない。乱れていない人が「隙」がないのではない。

 

誰かに何かをされたときに心が揺れ動き(動揺して)、普段見えない部分が見える、という状態を「隙がある」と呼ぶらしい。隙間からその人間の普段とは違う部分が見えるとかそんなイメージ。

 

とてもしっくり来た。私は結局何も心を動かされていなかったのだ。ふざけていても酔っぱらっていてもそれは自分という人間の通常の土俵上にすぎなかった。

 

だったらやっぱり私は他人にむやみに「隙」を見せたくないと思う。長期的に何かを築いていきたい人にだけ、見せ合いたい。まあ実際に見せるのは難しいだろうけど。

オードリー 若林正恭

 オードリーの若林を好きになってしまった。

初めのきっかけは本屋さんでたまたま見つけた「社会人大学人見知り学部卒業見込」だった。そのころ私は社会人一年目で、自分のあまりの人見知りの激しさに本気で嫌になっていた。直す方法をグーグル検索する程度には参っていた。おとなしい人間に見られてしまうのが嫌だった。(そのくせに他人にどう見られようと私には関係ない。どうでもいい。分かってほしいとは思わないし、逆にあなたのこと分かってるなんて思うやつはくたばれ、とも本気で思っていてもう手に負えなかった。)そんな時に本屋さんでこの本に出会いその日のうちに全部読んだ。おこがましいほどに共感した。

 

続いて発売された「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」もむさぼるように読み、今年の夏にはキューバまで行った。旅先でも読みまくり、同じホテルに泊まったり、同じバスに乗ってビーチに行ったりと、さながら若林巡礼ツアーであった。

 

「ナナメの夕暮れ」も本当に裏切らない。またしてもおこがましいほどに共感。これから何度だって読んでしまうだろう。

やっぱりあたりまえだけど40歳の若林は私より先に進んでいて、私が現在悩んでいるところを通り抜けていってしまったさみしさと、それがなくなっても生きていけるという安心感を得た。若林が幸せになれたら、自分も幸せになれるような気がする。

今幸せじゃない人にはどうしようもなく響いてしまう。

 

2019年3月2日の武道館がとても楽しみだ。

(追記)

行ってきましたよ、日本武道館

友人と計10回も応募してやっと当選したバックスタンド席。そこからでも十分に見えた。あんなに生きにくくて絶望していた人が日本武道館を満員の観客・ファンで埋めてシンプルにしゃべっていた。それだけでもう泣きそうだった。少し疲れていそうだったけど、満足してそうだった。私みたいに現世(会社)は捨てだ、素を出さずにやり抜こうなんてずるいことをせず、真正面・ナナメから世界にぶつかりまくって、舌打ちしまくって、怒られまくって、でも信念を曲げずにひたむきに生きてきたからこんな風なのかな、と勝手に気持ち悪い妄想を都合よくしてさらに泣きそうになった。というかほとんど泣いた。お父さんがお隠れになった話を武道館でもするということにもきっと考えや意味があるんだろうなあ。かっこいいなあ。